イスラエルの土器
人類は器を必要として両手に水を汲んだり、あるいは果物の殻などを用いたりしたが、とうとう代用品を使う代わりに器を作り始めました。器の創作に、時には遠方から取り寄せた様々な材質が使われましたが、土器は先ずはその土地の土から作られていました。ですから土器は各々の地域、その風土、その住民の心的傾向などが反映しています。
イスラエルで生まれた土器には聖地の厳しさもぬくもりも籠っています。暑い空気で乾燥した大地が素焼きの土器の表面を連想させます。素焼きは水を吸い込みますから、地元の人は古くから素焼きの土器に水を汲んで、水が土器にしみこんで表面に滲み出て気化することによって冷える知恵を働かせました。

水差し
青銅器時代初期、紀元前3100-2900年
イスラエルは、世界の大きな宗教であるユダヤ教・キリスト教・イスラム教の聖地です。そもそもユダヤ教によって神が人間を土から作ったと旧約聖書に書かれています。また預言者エレミアは、気に入らない作品なら自ら壊して作り直す土器職人の創作過程に、度々滅ぼされてより良くなっていくイスラエルを形成する神の仕事の比喩を見ていました。
オイルランプ
鉄器器時代後期、紀元前800-586年
神の領域から現実に戻りますと、人類の歴史において石器時代に粘土が物を作る材料として認識され始めました。エリコで発見された紀元前6千年紀の住居の遺跡では家屋の仕上げ(壁や床)に粘土が用いられ研磨されていたことがわかります。そこから粘土で器を作り焼くことによって硬度を高めることを思いつくのに至ったのか、あるいは既に土器を生産していたアナトリア(現在のトルコ)から技術が伝わったのか不明です。
19世紀に盛んになった古代文明の発掘活動は、エジプトで経験を積んだイギリス人の考古学者フリンダーズ・ピートリー氏(1853-1942)が初めてイスラエルで公式発掘調査を行い、各層から出土する土器を以て年代の基準を決めたといわれています。土器をはじめ、青銅やガラスなどの無数の出土品が世界中の発掘隊によって現在に至るまで発掘や研究されて来ています。


香油入れ
ローマ時代、紀元前後
しかし、人生をイスラエルの考古美術に捧げ、発掘を生き甲斐にしていたイスラエル国防軍参謀総長や外務大臣を務めたモーシェ・ダヤン将軍(1915-1981)なしにイスラエルの考古学を語れません。ダヤン将軍にとって考古学・発掘・出土品は日常で、空気のようなものだったと伝えられています。彼の熱意で築かれたコレクションは死後にイスラエル博物館に寄贈されました。
大型壺
ビザンチン時代、紀元5〜6世紀
エルサレムでは、土器が博物館や考古学研究所のみならず、ユダヤ人、アラブ人、アルメニア人それぞれが構えている骨董屋でも目にします。イスラエルの地に生まれた土器は現在、コレクションに収まって大切にされているものもあれば、ちょっとした装飾品や本来と別の用途の容器などとして一般の人の日常生活の中に相変わらず身近なものです。

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