この舎利容器は三輪の傘を頂く仏塔の形をしています。仏伝によれば、釈尊の死後に諸国の王が遺骨の分配を望みましたので、バラモン僧侶のドローナは舎利を八分にして其々に渡し、自分には遺灰が納められていた器を取っておきました。舎利は其々の国に運ばれ、それを祭るために仏塔が建てられました。仏教を保護宣布したアショーカ王(紀元前304–232年)は、最初の仏塔の仏舎利を更に細分し、国中に84,000の仏塔の建設を命じたと伝えられています。
舎利容器は、仏舎利を含むことなく、中身は象徴的なもので、淡水真珠や水晶、薄い金や銀の板から切り出された花などの装飾品、時には貨幣も入ったりします。献納者の名や奉納の目的の書かれたものもあります。
ガンダーラで多くの舎利容器が作られ、形は様々で仏塔型の他に箱型等のものもあります。
初期仏教美術は、仏教を広めるために仏陀の生涯を物語る仏伝図が制作され、礼拝者がお参りする仏塔などを飾っていました。アレキサンダー大王(紀元前356-323年)のバクトリアの征服後西洋の文化の影響を受けたガンダーラ地方ではそれまで仏足石やターバンや王座の座布団などの象徴でしか表されることがなかった仏陀が人物として表されるようになり、仏陀や菩薩の立像と坐像が多く作られるようになりました
仏塔型舎利容器、ガンダーラ、紀元3世紀、片岩、高さ:26 cm

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